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zoom RSS 北宋銭事始め(1) 皇朝銭の発行とその失敗

<<   作成日時 : 2017/05/06 16:56  

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昨年秋、久しぶりに古銭の催事に顔を出して、「北宋銭」100枚の緡を買った。少し割高だったかもしれない。
それはともかく、北宋銭とは宋の時代の銅銭である。平清盛が日宋貿易に乗り出すころから、貿易の資金決済として北九州辺りで盛んに輸入され始める。800年から900年くらい前の時代のことである。
北宋銭について考える前に、まず我が国での貨幣経済の成り立ちについて簡単にみておきたいと思う。

皇朝十二銭とその失敗
奈良時代以降、我が国の政府は、最初は唐の国に倣い、平安時代の初めころにかけて、独自通貨を順次発行した。皇朝十二銭といわれるが、それらはうまく流通しなかった。
そもそも当時の政府に、「国民の通貨需要にこたえる」とか、「貨幣経済を発展させる」などというような経済観念があったかどうか。このころの通貨発行の意義は、大寺院の建設や軍事行動などの財源確保のためであったり、または国家のステータスを誇示するためのものであった。
それ以前に、その当時の日本経済は、まだ貨幣を必要とするほどには発達していなかったことがあげられる。
交換の基準となっていたのは、絹や米であり、地域によっては、物々交換でも充分であった。通貨需要は極めて低調であった、といわねばならない。
貨幣経済が浸透していなかったことに加えて、新しい銭貨が発行されるたびに、政府は新旧1:10の交換比率を強制した。蓄銭した者には朝廷が位を与える、とまでして銭の普及に努めながら、新銭が出る度に、資産が10分の1に切り下げられては堪らない。しかも新銭は発行のたび、粗悪化した。(大きさ、重さが小さくなり、材質も青銅から次第に鉛分を多く含むようになり、銭文も定かに読めないものが、特に後期のものには多い)
こうして無文銀銭から富本銭を経て、古代日本の政権は和同開珎によって通貨発行の大権を確立したのであったが、その後200年余りの間に、政府の発行する銭は次第に通用力を失って行った。我が国では、貨幣の効用を自覚することなく、長らく貨幣を必要としない社会〜絹や布を交換尺度とする自然経済社会が続くことになる。

                                                                つづく

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