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zoom RSS 北宋銭事始め(2) 宋銭の流入

<<   作成日時 : 2017/07/22 21:53   >>

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前回、我が国では奈良時代から平安時代にかけて、官製のコインが企図・発行されたが、貨幣経済が未発達であったこと、新銭が出る度に1対10の交換比率を強制したこと、そもそも発行の目的が財源の確保にあり、「貨幣の流通」はあまり重視されなかったことなどにより、いわゆる通貨としてはうまく流通しなかったことを述べた。

皇朝十二銭がフェイドアウトしていく過程で、我が国では米や絹などを尺度として、あまつさえ物々交換の自然貨幣経済が、平安時代末期まで続いた。

清盛と日宋貿易
平安時代の終わりころになると、宋の商人による貿易展開が活発になり、我が国へも、北九州(大宰府や博多)を中心に、宋の商人たちがやってくるようになる。彼らは貿易の対価として、自国の貨幣「宋銭」を持ち込んだ。
瀬戸内海を勢力基盤とした平氏は、平正盛、忠盛、清盛の三代にわたり、宋商相手の交易により、莫大な利潤を得た。清盛、宗盛の時代の栄華は、その蓄積された資産が元になっていると言えるだろう。

日本からの輸出品と言えば、砂金・漆器・刀などであった。当初、宋銭は貿易の対価として、自然に流入してきたといわれている。北九州から瀬戸内海、機内とよばれる近畿地方あたりまで、宋銭はさして抵抗感なく受け入れられていったのだろう。というのも、先に述べた輸出品の生産地も、東北から北陸、出雲、東海道とさまざまであるから、貨幣経済が浸透する以前に、その市場(流通路や集積地も含めて)、いわゆる流通機構は相当程度に発達していたものと考えられるからである。

平清盛がひとり革命児的な存在として日宋貿易を一手に取り扱い、莫大な利を得たようなイメージが強いが、実際はその流れに乗っただけなのかもしれない。
もともとあった流通機構の中に、宋銭という血液が注がれることで、ようやく我が国にも皇朝銭で失敗した「貨幣経済」が息を吹き返した、ともいえるだろうか。

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〈つづく〉


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